【突発新連載】偉人の名言とその生涯①
富山本部校小学部
※今後,富山育英センター小学部では様々な記事を連載していきます。今回はその第一号です。お時間のある時にぜひお読みください!
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「白衣の天使」
この言葉から連想される人物を1人挙げるとするならば,皆さんなら誰を思い浮かべるだろうか。
この質問で恐らくは大体の方がこの人物を思い浮かべることだろう。
フローレンス・ナイチンゲール。
伝記などで見られる彼女の姿は大体においてまさに「白衣の天使」であり,きっと医療分野でさぞ華々しく活躍したのだろう。
……そう思う人が多いのだろうが,彼女の実像は想像のそれとは少々異なる。
ナイチンゲールは1820年にイタリアのトスカーナ地方に生まれ,幼少期より外国語,ギリシア哲学,数学,天文学,経済学,歴史,美術,音楽,絵画,心理学,詩といった多岐に渡る学問を修め,周囲の反対を押し切りイギリスで看護師としての職を得る。そして,その高い知性で以て看護師を「専門的教育を受けた技術職」とすべく奔走する。
1854年,クリミア戦争が勃発。ナイチンゲールは当時のイギリス陸軍大臣からの依頼で戦地に赴くこととなる。
後方基地の病院に赴任したナイチンゲールが目にしたのは「極めて不衛生な病院」「入ってこない物資」「縄張り意識から自分達を邪険に扱う人々」「誰も掃除していないトイレ」であった。
ナイチンゲールたちの仕事はまずはトイレ掃除だった。まずは自分たちの存在を認めさせ,発言権を得ていくというわけである。また,味方の少なかった彼女には最大にして最強の支援者がいた。ヴィクトリア女王その人である。これらにより赴任先の看護師の総責任者となったナイチンゲールは病院の衛生環境を徹底的に改善し,42%にまで跳ね上がっていた病院での死亡率を5%まで低下させることに成功した。兵士の死因のほとんどは不衛生による感染症だったのである。
戦中の彼女のエピソードにこのようなものがある。
物資不足の中医薬品を探し回っていたナイチンゲールは,ある部隊の後方で山積みとなった物資を発見した。彼女を舐めて物資の提供を渋る部隊長の前で,
斧を取り出し木箱を叩き割って堂々と医薬品を持ち去ったという。
因みにナイチンゲールは患者の為となると基本的には
誰の言うことも聞かなかったという。
想像してみてほしい。
斧を片手に戦場をさまようナイチンゲールと
それに付き従う看護師・シスター40人の姿を。
私ならたぶん泣くと思う。
戦後英雄扱いを避けるため偽名を名乗ってイギリスに帰還したナイチンゲールは,クリミアでの激務から体調を崩しながらも病院の状況分析を開始し,数々の統計資料を作成し,1910年に亡くなるまで文筆活動に励んだ。それが保健制度および陸軍全体の組織改革に繋がったのである。
このことからイギリスでは
むしろ「統計学の祖」として扱われることが多いという。
いわゆるレーダーチャートを作ったのもこの人である。
さて,ここまでナイチンゲールの生涯について語ってみたが,入試を控えた皆さんにぜひ覚えておいて欲しい言葉を彼女は遺している。
「あなた方は進歩し続けない限りは退歩していることになるのです。目的を高く掲げなさい。」
中学入試まであと4か月弱と迫ってきた。ここまでの数か月,あるいは数年の努力は,残り4か月の過ごし方次第で吉とも出るし凶とも出るだろう。常に進歩し続ける気持ちを持って,最後まで走り抜けてほしい。
最後に,彼女の遺した言葉で私が最も好きなものをご紹介して,この記事を締め括りたい。
「天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者である。」
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