偉人の遺した名言とその生涯②『スパルタ王レオニダス1世(2)』
富山本部校小学部
前回の続きです(ここまではコツコツ書き溜めていた内容です。この続きはいつになるやら)
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まずは、歴史的に見てもどこかおかしい、「スパルタ」という都市国家についてご説明していきたい。
前1104年に成立したとされるギリシア都市国家の1つで、「土地の共同分配」「長老会・民会の設置」「常備軍の創設」「装飾品の禁止」「共同食事制」といった制度を基本とし剛毅な性質を持った、やや乱暴だが「私達西側諸国の人がイメージしたソビエト社会主義共和国連邦のような国」だったようだ。
成立以後、スパルタは「国内の分裂を対外戦争で共通の敵を持たせることで治める」という古今ありがちな手法で拡張し、スパルタ人5万人に対し15万~25万人ともいわれるヘタイロイ(奴隷)を抱える歪な人口構成に度々悩まされた。
ヘタイロイによる反乱を経て徐々に王権が強化され、スパルタは前6世紀にギリシア諸都市の同盟である「ペロポネソス同盟」を結成、その盟主となり、強大な勢力を持ったアケメネス朝ペルシアやアテネに対抗していく。
ここまで、簡単にスパルタという国家の半生について纏めたわけだが、“どこかおかしい”という割に、この国は今後も歴史上に割と登場しがちな軍事国家であり、ありがちな動機で対外戦争を行っている。この手の国家を維持するためには強大な軍事力が必要だが,「圧倒的な兵力」ではなく「個々の戦闘能力」にそれを求めた辺りが、スパルタのスパルタたる所以なのだ。
現代にも「スパルタ教育」という比喩がある通り、スパルタ兵は以下のような苛烈な練兵によって育成されていた。
①練兵は7歳から始まる(成人まで続く)。
②やらかしたら鞭打ちの刑が基本。
③訓練は下着で。履物はなし。
④沐浴(=体を洗うこと)の禁止。
⑤食事は不十分で、バレない程度の盗みが推奨された。
現代基準だと、
「全身鞭打ちの痕だらけで激臭をまき散らす成人男性の集団が半裸で強盗を働く」
ということになる。
…ここで1つ断っておきたい。
「歴史上の事物を現代の価値観で測ってはならない」のである。
私自身授業でも必ず触れる大原則だ。繰り返すが、「人権」などという思想は18世紀以降のものなのである。
…それでも、それにしても、かなり嫌な絵面だ。
これが「スパルタ教育」なのだとすれば……
そもそもこれは教育というより………
…いややめておこう。
かくして心身ともに屈強な、一騎当千の兵が育成されたのである。
心については荒んでいるだけな気もするが。
前499年の「イオニアの反乱」に端を発したギリシア世界へのアケメネス朝ペルシアの進出に際し、ギリシア諸都市は混乱し、対応はまちまちであったが、トラキア(東ブルガリア)にペルシアが侵入したことにより、連合してこれを迎撃することになった。
この時点でペルシア軍は20万の大軍であり、本来であればギリシア諸都市もそれに対するだけの兵力を用意すべきであるが、スパルタもその他都市国家も国中がお祭りの真っ最中であり、少数の兵を派遣するにとどまった。スパルタでこの時行われていた「カルネイア祭」では、そもそも期間中の軍事的行為はすべて禁止されており、ゆえに300名というごく少数の部隊のみの出征となったのである。
前480年。最盛期を迎えつつあったスパルタは、同じく拡大を続けたアケメネス朝ペルシアと衝突することとなる。
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次号,いよいよ「テルモピュライ血戦編」!!
ここまでまだ一言も喋っていないレオニダス1世!!
実は何をやったかさえまだ書いていないレオニダス1世!!
いったいどんな言葉を遺したのか!?
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