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倫理の時間12 「ぬ」続き

富山本部校高校部

前回(3月28日)のおさらい

・ある日の授業前に、黒板に書かれた大量の「ぬ」

・すべて少しずつ違う形をしているのに、なぜ私たちは「ぬ」と判別できるのか

・それは「ぬ」の元型を私たちが知っているから

・それがプラトンのイデア論につながる

 

 

こんな感じだったと思います。

今日はこの続きから。

 

皆さんに問います。

この「ぬ」の元型は、現実世界に実体として存在しているでしょうか?

 

答えは否。

 

現実世界に存在しているのは、個別的・具体的な「ぬ」だけです。

プラトンは、現実世界は事物の元型の影のようなものでしかなく、

元型が存在しているのはイデア界という別の世界だと主張します。

 

だからこそ、私たちは理性を働かせて、物事の本質・元型をとらえよということを

伝えたいのだと私は考えています。

 

しかし、この説を批判した人物がいます。

それがプラトンの弟子アリストテレスです。

 

アリストテレスは物事の本質は、イデア界のような別世界にあるのではなく、

現実世界に存在する事物の中に存在するとして、

現実世界の事物がどのようにして成り立ち、どのようにして本質を発現させるのか

ということを探求しました。

そして、エイドスとヒュレー、デュナミスとエネルゲイア、四原因説などの概念を

導き出しました(今回は詳細は省きます)。

 

 

 

私たちは普段、

現実に存在するものにしか触れることができません。

しかも、私たちが触れることができる世界も、

全体のほんの一部で、

毎日同じような世界でしか生きていません。

いつも通りの毎日かもしれません。

 

しかし、普段何気なく接しているものも、

私たちはどれだけちゃんと説明できるでしょうか。

考えてみたら、案外、意味や目的を分かっていないものが多いのではないでしょうか。

 

普段考えもしないものにスポットをあて、

なぜ?どうして?どういう意味?目的は何?と問いかけ思考すること。

それはもうすでに哲学なのではないかなと思ったりします。

 

皆さんも当たり前になっているものを、いつもよりも少し深く考えてみませんか?

 

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