氷見に大きな湖があった
富山本部校高校部
春の晴れた休日。海が見たくて時折氷見に出かけます。
奈良時代、越中の守としてここ富山に赴任した大友家持は、
都では見ることのできないこの海に強く心ひかれたようです。
中心部に入る手前を少し内陸に入っていくと
十二町潟という幅の広い川のような沼然とした場所に出くわしますが、
ここは家持の時代、南に向けてもっと大きな湖が広がっており、
「布勢の水海」と呼ばれていました。
国道160号を車で走っていると、周囲の小高い山々の入り組んだ縁が、
かつては大きな湖の入り江だったらしいということが容易に想像できます。
家持はこの布勢の水海も、恰好の遊覧の場にしていたようです。
布勢の円山(まるやま)というふっくらとしたおむすびのような小さな山は、
かつては湖に浮かぶ島だったそうです。
越中で220首余りの和歌を詠んだ家持ですが、冬を歌に詠むことはありませんでした。
春になるやいなや、雪に閉ざされていた詩情が一気に湧き出したのか、
越中の自然の風物が、歌と共に口をついて出て来たのです。
春は昔も今もそういう季節です。
布勢の水海が変わらず残っていれば、細長い陸地を挟んで、
一方に海、一方に湖を望む今よりすばらしい景色が見られたことでしょう。
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