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偉人の遺した名言とその生涯②『スパルタ王レオニダス1世(1)』

富山本部校小学部

連載予定でした。ついに続きました。やったぜ。

※はい今日は世界史のお話です。「ほ~ん…」と腕組みしながらご覧ください。

 

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古代ギリシアの歴史家にして歴史学の父、ヘロドトス著「歴史」に曰く、

 

300vs2、000、000

 

2007年の映画「300」で描写されたことでも知られる「テルモピュライの戦い(前480年)」におけるスパルタ軍とアケメネス朝ペルシア軍の動員兵力である。

後年の研究により、ペルシア軍の2、000、000人という現代でも不可能であろう一会戦での動員兵力は、ヘロドトス本人のペルシア語→ギリシア語翻訳時のミスという説が濃厚で、実際は21万程度とのことだ。

それはそうで、1600年の「関ヶ原の戦い」で東西合計約15万、1944年の「ノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦。完全に余談だが、ノルマンディー以降の連合国軍の先頭については映画「プライベート・ライアン」やBBC・HBO制作のドラマ「バンド・オブ・ブラザース」に詳しい。前者には俳優として、後者には制作指揮・監督として、名優トム・ハンクスが携わっている)」における連合国軍の兵力が約15万6000ということからも分かる通り、この15万前後辺りが近現代においても限界なのだろう。そもそも、自衛隊ですら陸海空の合計で約23万しかいない(2024年度末)のである。

いくら人権などというものが無視できた時代の話(人権という概念自体18世紀以降のものである)とはいえ、200万などというふざけた兵力動員はやはり不可能、ということで宜しいかと思う。軍の動員にはその人数分の衣食住が当然伴うのだから。

なお、日本史上に残る最もふざけた兵力差は、1333年の「千早城の戦い」における

 

楠木正成軍1000vs

鎌倉幕府軍2、000、000

 

恐らくは「太平記」が盛っているだけである。

 

歴史学習において派手さとノリと勢いも大事だと思う私としては、謎の超技術を用いて200万という超絶動員を成し遂げていただいても何ら問題ないのだが(実際、蜀漢の政治家・軍師として有名な諸葛亮は、謎の超技術&人外じみた政治力でもって5度に渡り北伐を実施した。この辺もそのうち書きたい)、現実は非情なのである。

さて、本題に戻るとしよう。

史実、クセルクセス1世率いるペルシア軍21万のと対峙したのは、スパルタ王レオニダス1世と300人の重装歩兵+ギリシア諸都市からの援軍が1000程(加えてスパルタ軍の軽装歩兵が1000程度残ったとも)。考えるまでもなく、当時基準でもスパルタ軍の敗北は必至である。

結論から言うと、スパルタ軍を中心としたギリシア諸都市連合軍は、レオニダス1世を失いながらも最大150倍の兵力差を跳ね返すことに成功する。

 

どうして

こうなった?

 

まずは、歴史的に見てもどこかおかしい、「スパルタ」という都市国家についてご説明していきたい。(名言が出てきませんが次号へ続く)

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