そしてまた憂いは続く
富山本部校高校部
前々回お話しした空き家となっている実家であるが、
先日正式に人に明け渡した。鍵ももう手元にない。
駅前の雑居状態の数あるわずらわしさから抜け出すために郊外に引っ越したわけだが、
空き家になったらなったで、
漏電による火事や積雪による倒壊の心配など、憂いの種は尽きなかった。
だから、寂しさより清々する気持ちの方が大きいものだと思っていた。
明け渡す前日。いよいよ最後のお片付け。
とあるタンスの上に、厚くほこりがかぶった一つの箱を見つけた。
開けてみると、姉や私の幼少期の写真がつまっていた。
私自身ほとんど記憶にないシーンの数々の中に、
小学校に上がる頃合いの小さな私が、今まさに建築中の実家の前に佇む写真を見つけた。
写真の中でも小さく写る子供の私は、緊張しつつもかすかに微笑んでいるように見えた。
未だ経験のない喪失感が心を突き刺し、やがて我が身を包んだ。
鍵を手放したその時、
「本当に帰る場所を失ったな」と、ちょっと胸にこみ上げるものを感じた。
この喪失感は今もこの身につきまとっている。
いつまでこんなからっぽな感じが続くのか、
それがここ最近の真新しき憂いの種である。
