たまの信心
富山本部校高校部
白雲にうちのりて、西の空に行ければ、みな人ありがたくぞおぼえける。
別の僧に供養され魂さまよう女性が、一休禅師に再度供養され成仏できた
というお話の結末である。
「西の空」の「西」とは、「西方浄土」つまり「極楽浄土」のことである。
またまた空き家となった実家の話で恐縮であるが、
実家には広い仏間に、金箔作りのまことにりっぱな仏壇がある。
今住む小さな家には移すことができないので、
代わりに40×30㎝程度の小さな仏壇を購入し、
現在、やはり小さな畳の部屋に、他の引っ越し物とともに押し込めてある。
私自身は不信心極まりない人間だが、父が信心深い人だったので、
その意をくんでのことである。
上記の「西の空」の一節を読んだ時、「ありゃ、まずいな」と思った。
新しい仏壇を北に向けて置いていたからである。
一説には東向き、一説にはお参りしやすい場所ならどこでもOKなどと雑なものもあるが、
いくらなんでも「北枕」の「北」はまずかろうということで、
せめて「西」に向けて据え直し、珍しく仏様に手を合わせてみた。
気のせいか、しばらくして近頃重く凝りがちだった右肩が、すっと軽くなった。
たまには「信心」も悪くないな、と思った。
