本日のε-δ(イプシロンデルタ)論法
富山本部校高校部

高校数学で習う極限は実はあいまいなもので、大学以降になるとε-δ論法というもので極限を厳密に定義する。
スタジオジブリの名作「おもひでぽろぽろ」に「分数の割り算に疑問を抱かなかった人はその後の人生がうまくいきやすい」という趣旨のセリフがある。私は分数の割り算で詰まった記憶はないが、ε-δ論法にはだいぶ苦戦した。計算方法だけは覚えて試験を突破したが、本質的な部分はほとんど理解できていなかった。世間でもε-δ論法は大学数学で立ちはだかる最初の難関とされており、その一因は謎(本当はそんなことはないのだが)の記号ではないかと密かに思っている。以下が教科書に書かれているε-δ論法の定義である。
∀ε>0, ∃δ>0, ∀x∈R,0<∣x−a∣<δ⇒∣f(x)−b∣<ε
Aをひっくり返したような記号は「すべての」を表し、Eをひっくり返したような記号は「存在する」を表す。めでたく英語講師になってからはこのような記号とおさらばしたはずだったのだが、否定や作用域の勉強をしていたときに思いがけぬ邂逅を果たしてしまった。
Some boy loves every girl.という文章を解釈してみよう。実はこの文は二つの解釈があり得るのだが、これを説明するのに先の記号が使われるのだ。しかし考えてみれば、否定や作用域は言語学の中でも論理的要素が強い文法項目なので、論理記号が表れるのも当然ともいえる。
Some boy loves every girl.の解釈は次回以降に解説するとして、「おもひでぽろぽろ」にはトシオがタエ子に「都会の人は田舎の景色を自然といって有難がるが、実際にはそれは人の手でつくられたものだ」という趣旨の発言をするシーンがある。これは2013年の東北大学や2014年の大阪大学の英文のテーマと通じるところがあり、大阪大学の英文では「手つかずの自然は存在しないのだから、人間が自然に介入しないという原則はもはや意味をほとんどなさない」といった主張がなされているのが印象的だ。
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