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「そんな立派な足を持っているんだからさ」

富山本部校小学部

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「そんな立派な足を持っているんだからさ」……。

 

……嫌味な台詞だなと、つくづく思う。

 

タイトルは、9月第2週の6年受験科国語で扱った物語文の一部である。話の筋としては「自分が裕福な一族の出であることを鼻に掛け、そうでない一族出身の嫁をいじめる姑と、それを忌避しつつも知らず知らずのうちに同じような台詞を言い放っていたことに苦しむ主人公」といった具合なのだが、そんな中で最後に姑が主人公の母に吐き捨てたのがタイトルの台詞である。

ただし、この台詞が嫌味であることには多少の解説が必要なので、以下をご覧いただきたい。

 

皆さんは、「纏足」というものをご存じだろうか?

 

「纏足」とは、3~4歳のころに女児の足を木綿で固く縛り、成長を阻害することで人工的に足を小さいままに整形する、という、中国の唐代から続いた因習のひとつである。その理想的サイズは9cmだというのだから恐ろしい。

当時の(と言うには余りにも長い期間だが)貴族階級における美意識の結果であり、「黒い髪・白い肌・小さい足」が美しい女性の代名詞とされた。

当然、足が不自由であるということは日常生活において文字通りの足枷でしかなく、それが許容できるのは富裕層のみであった。「足が不自由になる=世話係が必要になる=世話係が雇用できるくらいの金持ち」というわけだ。

そのため、支配者層である多数派の漢民族を中心にこの因習は広がったのだが、そのお手軽さ故に、しまいには労働者階級にまで伝播していったようである。そこに、あわよくば我が子を上流階級に送り込みたい、という親心ないし野望があったことは想像に難くない。

 

本作の姑は、その纏足を「裕福な漢族の出の証拠」としてひけらかし、漢民族出身でない自身の息子の嫁、つまり主人公の母にずっと辛く当たり続けている、という状況がテキスト内で繰り広げられていたのだ。私も歴史を学ぶ者の一人として、その時代の背景を知らずに現代の価値基準で云々することの愚かさは十分に理解している積もりだし、その大前提を話した上でいつも解説に入っている。

 

まぁそれはそれとしてこいつは現代基準で考えても歴史的経緯を鑑みても紛うことなき●●●●●であるが故に気分が悪いのだが。

 

気分が悪い理由は実はもう一つ。

 

ほぼ同じ文面を全く逆の意味で使っているある作品を愛して止まないが故である。

 

その作品の名は『鋼の錬金術師』。

 

今年私が担当している生徒で知っているのは僅かに5人と、ジェネレーションギャップを強く感じる昨今だが、『鋼の錬金術師』は、主力作家を大量に引き抜かれ窮地に陥ったとある漫画雑誌をその絶大な人気で支えた作品であり、2度のTVアニメ化と1度の実写映画化が行われた作品でもある。

特にアニメは、連載終了前にアニメ化された通称『旧作』、連載終了と同時にアニメも最終回を迎えた通称『FA』共に名作である。

 

 

さて、その『鋼の錬金術師』単行本第1巻、記念すべき最初のエピソードにて、主人公のエドワード・エルリックが言ったのが以下の台詞だ。

 

 

「立って歩け。前へ進め。あんたには立派な足がついてるじゃないか」

 

 

今一度タイトルを見てほしい。私が「つくづく嫌味な台詞だ」と評したそれとほぼ同じ単語で構成された台詞であることが分かるだろう。

 

この台詞は、本作を読み解くキーでもある「賢者の石」の劣化版を用いて奇跡を起こし人々からの信仰を集めていた詐欺師を倒した主人公を「これからどうやって生きていけばいい」と罵倒する元信者の少女に対しての『叱咤激励』である。

 

天涯孤独のこの少女は確かに、詐欺師の男によって個人としては救われていた面もあり、その一面から見れば彼女の罵倒には一定の正当性があるようにも思える。しかし、この主人公がとある(作品の根幹にかかわる)事情から隻腕隻脚であることにより、この言葉にはより重い正当性が持たせてある。

そう言われたら何も言い返せないよね、ということで、この2人は特に和解するでもなくここで別れる訳だが、この「話せば何でも解決するわけではない」「バックボーンなんて人それぞれなんだから必ずしも分かり合えるわけではない」という平成の少年漫画らしからぬ乾いた空気感が、たったの2話で当時の漫画読みの心をグッと掴んだ要因だと私は勝手に思っている。

 

因みに、この詐欺師を打ち倒す際、主人公が「降りて来いよド三流 格の違いってやつを見せてやる!!」と見得を切るのだが、この台詞も後々大きな意味を持ってくるのが面白い。

 

「錬金術」を根幹とした世界観の構築、「誰か1人でも欠けていれば主人公の勝利はなかった」ともいえる個性的かつ無駄のないキャラクターの配置と造形(特に「頼れる大人」が主人公サイドにしかも大勢いる、という特異な少年漫画でもある。その反例は、漫画ではないがTVアニメ版「エヴァンゲリオン」である)、良質のB級アクション映画(ジェイソン・ステイサムが悪人を薙ぎ倒す類のやつ)を見終わった後のような爽快な読後感、登場人物たちの行動原理や死生観から滲み出る作者荒川弘のバックボーン(試される大地・北海道で酪農を営む家庭に生まれ、幼少期から家畜の生き死にと向き合ってきた)など、見どころが多い作品である。ぜひ受験が終わったらご一読いただきたい。

 

 

さて、日本語に限った話ではないが、同じ言葉がその背景の違いによって真逆の意味を持つことはままある。酷いときはその勘違いの末に不和が拡大していくものだ。だからこそ人間は声色であったり表情であったり、文字以外の言語表現を持つのだから、対面でのコミュニケーションは密に、丁寧に行うべきだし、誤解を解消するための労苦を惜しむべきではない、と思うのだ。

 

 

いざ何かあったときでも、

「そんな立派な足を持っているんだからさ」

「えっ何それ嫌味!?」

と軽口を叩ける程度の関係では(少なくとも親しい間柄なのであれば)居たいものである。

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