大和言葉―秋-
富山本部校高校部
野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。
(野分の翌日は、たいそうしみじみと趣深いものだ)
大和言葉「野分(のわき)」とは、今でいう「台風」のことである。
台風ゆえに、平安の昔であれば、今以上に辺りに相当の被害があったはずである。
『枕草子』には、木が折れ、葉や枝が散乱している描写もある。
にもかかわらず、清少納言はこれを「いみじうあはれにをかしけれ」という。
風で髪をぼさぼさにした女性の姿を見て「めでたし(すばらしい)」ともいうのだから
面白い。独特の感性である。
でも、人も含めた自然のありようそのものに対する真っすぐな感懐だと思えば腑に落ちる。
深夜、静かに台風の進路予想を映す画像を見て、
(失敬ながら)妙にわくわくしている私にどこか似ているからだ。
岩鼻やここにもひとり月の客
作者向井去来は、突き出た岩の上で月を眺めていると、他にもう一人月を愛でている人が いる、と解釈したようだが、
師である芭蕉は、岩の上にいる私こそが月に招かれた客なのだ、と解釈し、
こちらの方が優れていると絶賛したそうだ。
弟子とはいえ他人が詠んだ句を勝手に解釈し、こっちの方がいいという根性もまた面白い。
望月の夜、一人庭の真ん中で月を望む。
周囲を見ても今時同じように月を愛でる人などいるはずもない。
少しずつ芭蕉の気持ちが自分なりにわかってくる。
「月の客」とは、「月見のために出て来た人」を意味する大和言葉である。
そしてまもなく「紅葉狩り」の頃合いである。
