富山育英センター

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「見直し」とは何を見直すのか

富山本部校高校部

「テストを受けたら、必ず見直しをしましょう」とよく言われたものだ。

しかし見直しの重要性をいくら正当に語られたところで、こっちはどうも気が乗らない。
間違った問題を解き直して、そのノートを提出させられたりもしたが、やはり嫌々ながらであった。

同じような気持ちを抱いたことのある高校生も、さほど少なくはないかもしれない。
なぜ間違い直しに気が進まないか。これにはちょっと人間の内面的な必然的事情が関わるのではないか。

というのは、採点済み答案には、正答とともに自分の間違いが並んでいるのであるから、それと向き合うことは直ちに、間違った自分そのものと向き合うに等しい意味を持つことになる。とすると、それを避けたがるのは、自分をこれ以上傷つけないための自己保存であるから無理もない、というわけだ。

しかし、間違いを放置することは、できない自分に甘んじるということでもある。それではいつまでたっても成長はない。学力的にだけではない、内面的にもである。精神年齢とでも言うべき何か内面的な自己の形成が、勉強には不可欠なのである。

「お前は間違っている」、試験は私どもにそう突きつけてくる。
いわば私たちの知性を否定してくるわけだから、確かに気分はよくない。

しかし受け入れ、そして向き合わねばなるまい。自己否定を乗り越えようとすることで初めて、真の自己形成の道に就けるというものだ。勉強の本質はそこに関係ある。

目標の遠さばかりを嘆くのは無論、無意味なことに違いなく、私どもにできるのは、目の前の一歩を確かに踏みしめることと、それをひたぶるに続けることだけであるが、間違った自分を認め受容することで謙虚になれ、謙虚になることで目の前の一歩を喜べるようになる。
それがたとえわずかな一歩であったとしても、そこに大きな喜びを感じられる……ちょっと姿勢を変えてみると、そんな自分になれるかもしれない。

勉強を通して自分自身と見つめ合い、反省し、新たな自分を獲得していく。勉強を続けることで自分そのものが変わり続ける。新たな自分と出会う。そんな勉強が、つまらないはずがない。しかし合理性と生産性が強く支配する価値観の社会にあっては、そういう意味での勉強が忘れられてしまいかねない。

日頃の繁忙と少し距離をとって、一度自分と向き合ってみる。そんな、新たな自己と出会えるかもしれない夏にしてみるなんてのも、案外悪くないんじゃないかな。

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