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新しい年を迎えるということ

富山本部校高校部

 まもなく2022年も終わりを迎えようとしている。1月1日0時を迎える時、世の人々がカウントダウンをして浮かれ騒いでいる中、一時期の僕は、いつものようにただ一日が過ぎただけだよねと、わけもなく冷めた感じで年末年始をやり過ごしていた。

 『紫式部日記』に一風変わった年越しの話がある。宮中では大晦日に追儺(ついな)といって、疫病を払う鬼やらいの儀式がある。その儀式が終わっても、式部の普段通りの宮中出仕は続くのであるが、儀式のあと部屋でくつろいでいると、深夜中宮のお部屋の方から、けたたましい悲鳴が聞こえてくる。ともに出仕していた他の女房二人と一緒に声のする方へ暗い中恐る恐る行ってみると、身ぐるみをはがされ裸同然の女房が二人そこにいた。こともあろうに、追儺の儀式後の宮中に強盗が入り、女房二人の着物を奪い去ったのである。

 儀式が終わった後、式部の兄弟も含め男たちがのんきに宮中から退出し何の役にも立たなかったこともあり、式部は男に対して恨み言を言ってこのエピソードはエンディングを迎えるが、年末年始の宮中は、このような強盗事件さえなければ、いつも通り平然と時が過ぎていったような趣がある。年が明ければもちろん正月の儀式も行われたであろうが、式部たちのふるまいを見る限り、儀式はさっとやり過ごせばよいもので、現在のように新年を祝い大騒ぎで過ごすということはなかったのではないかとも思える。一時期僕が年越しに感じていた冷めた反応は、この宮中の人々の佇まいに通ずるものがあるのかもしれない。

 が、しかし式部の時代の宮中でも実際強盗事件は起こったのである。そういえば、僕が高校生だった頃までは、年末には必ずと言っていいほど銀行強盗をやらかす輩がいた。銀行員を人質にとり何時間も立てこもる場合もあった。言うまでもなく、先立つものがなく年を越せない者のやむなき犯行だ。彼らにとっては、年末年始は切なくも大きな一つの区切りであって、何となくやり過ごせるものではなかったのだろう。

銀行強盗をしなければならないほどの屈託がなくても、人にはそれぞれ一度区切りをつけておきたい諸事があるだろう。穢れを払い、新たな年に新たな自分を。近頃の僕は、大騒ぎこそしないけれども、宮中の追儺の儀式さながら年越しに一つの区切りの意味を感じながら、神妙に新年を迎えている。「ゆく年くる年」をぼんやりと眺め、遠くに除夜の鐘を聞きながら。

 

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