富山育英センター

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貧報(ひんぽう)の冠者(かじゃ)

富山本部校高校部

三井寺のとある僧があまりの貧しさに堪えかね、いっそ旅にでも出て、自分の宿縁がいかほどのものか試したいと思った。旅支度を整え、翌朝出発しようと思ったその夜の夢に、青白い顔をしたみすぼらしい容姿の若者が現れ、慌てて旅装に身を改める様子が見えた。

「お前は何者だ?」

「あなたのおそばにいつも付き従っている者でございます。あなたが旅に出るとお伺いしましたので、お伴しようと思い、私も旅支度をしているのでございます。」

「名はなんと申す。」

「一人前の者ではないが、あだ名がございます。人は私のことを貧報の冠者と申します。」

「貧報の冠者」とはつまり「貧乏神」のことである。

どこへ行ってもこの貧乏神がついてきたのでは、何ら宿縁は変わるまいとあきらめた僧は、旅には出ずそのまま元の寺に留まり貧しい境遇に甘んずることとなる。

この古文の一節を一読した途端、一人の女子高生が手を叩いて大笑いし、しばらくは笑いがおさまらない様子だった。貧乏神が何とか主人について行こうとせっせと荷物をまとめ、旅支度を整えるコミカルなシチュエーションを想像し、それがツボにはまったのだ。

「ツボ」はそこかぁと思った。高校生くらいの若者にとって、運命論なんて無縁なんだとも思った。未来は可能性に満ち満ちて(?)いる。さしずめ「青年よ、大志を抱け-Boys,be ambitious-」というところか。

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