富山育英センター

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予習と復習

富山本部校高校部

大抵、高校生は授業以前に予習してくることを求められ授業は予習を前提に進められる。

それゆえ前日の夜に予習を必死にこなし、授業を受け、やっと一段落、かと思いきや引き続き翌日の予習を済まさねばならず……

その繰り返しにのみ込まれ、繁忙の中を疲弊しつつ過ぎ去っているようであります。

かかる渦中にあっては先に進まねばならず、そのかわり一度やったことを顧みる暇が確保されにくくなる。

しかし例えば読書でも一度読んですべての知を獲得することは難しく、人の話も、一度聞いてすべてが己の血肉と成ることは殆ど果たし得ない。

やはり復習が疎外された勉強に実りがもたらされることは難しく、忘れた頃に「思い出す」ことは半ば不可欠だ。

ただしここでは、予習と復習のいずれがより重要かを論じたいのではなく、予習だけでなく復習もきちんとやろうなどと言って終わりたいのでもないのです。

 

ただの作業に陥らぬために、その意味を考えてみようと思うのです。

 

人間が一人でできることなど所詮限定的であるに違いないとすると、一人で取り組む予習とは、できるものを増やそうとするのでなく、むしろ一人ではできぬことの発見、即ち混沌を作り上げることに意味があるのではないか。

「わからないものを明確にする」などとは誰もが言うが、その「わからない」というぐちゃぐちゃな状態、それを「混沌」と捉えてみるならば、そこにはやがて「秩序」が与えられねばなるまい。

混沌を抱えつつあるとき人は、人の話を理性的に聞けるようになる。いやむしろ、混沌があればこそ理性の立ち上がりもあるというものだ。それゆえ混沌を持って教師と対面する。それが授業を受ける態度ではないか。

そういう態度で受けると、予めあった混沌に秩序が与えられる、ぐちゃぐちゃだったものが整理される。そしてそれが「理解」ということなのかもしれないと気付く。

そして復習では、その与えられた秩序をもう一度、今度は自分一人で作り上げてみようとする。自立へ向かおうとしてみる。秩序の理性的獲得を独力によって試みる。

そういう予習と復習の循環を自分の中に構築する。

日頃の繁忙にあっては難しいかもしれないが、敢えて時間を取ってじっと復習に腰を据えてみるというのも、さらなる成長へつながるこの夏の大事なのではないかと存じます。

 

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